PROMINENCE 2 Lesson 8 The Biggest Jigsaw Puzzle in History

Lesson 8
The Biggest Jigsaw Puzzle in History
歴史上一番大きなジグソーパズル

ドレスデンを訪れる機会があれば、ぜひ聖母教会を見てください。聖母教会は過去と現在の壮大なモザイクです。この課では、破壊の象徴をイギリスとドイツの和解の象徴へと変えるために、人々がどんなに熱心に協力したか理解できるでしょう。

Part 1 本文和訳

春の気配が漂い始めた1945年2月13日、イギリスとアメリカの飛行機の3つの波がドイツのドレスデンを空爆しました。
攻撃が原因で一連のひどい火事が起こりました。
火災により街の75%が破壊され、55,000人以上の人が殺されました。

聖母教会は当初、火災に生き残ったように思えました。
生存者たちは、2月15日の朝に大聖堂が空にまだそびえ立っているのを見て、元気づけられたことを記憶していますが、突然、崩れ去りガレキとなるのを目の当たりにしました。
建築200年後、街のスカイラインから姿を消してしまいました。

なぜこれは起きたのでしょうか? 
この疑問は多くの人が抱きました。
ドレスデン空爆は第2次世界大戦で一番、賛否両論分かれる空爆のうちの1つでした。
攻撃に加わったパイロットの1人でさえも「何度も神に許しを請いました」と語りました。
この攻撃は第2次大戦の終結のためには必要ではなかったと言う歴史家もいますし、いや確かに必要だったとする歴史家もいます。

Part 2 本文和訳

ドレスデン市当局は、戦争に対する抗議の象徴として冷戦期間中長年にわたり聖母教会を廃墟のままにしておきました。
そんなわけで、教会を再建しようという考えが真剣に議論されたのは、ドイツが1990年に再び1つの国になった後にすぎませんでした。
再建は無駄だろうと主張する人たちから計画に反対がありました。
しかし、結局、聖母教会を再建する意思は、教会を壊した炎よりも激しく燃え上がりました。

14,326トンの丸屋根を持つ聖母教会を再建する事業は、1991年に始まりました。
しかし、ガレキの破片ひとつ1つを注意深く調べるのに1年以上かかりました。
実際の再建工事は、1994年5月に元々あった石のブロックを置くことから始まりました。

再建事業を実行した会社の主任建築家のウルリッヒ・R・ショーンフェルドは次のように語りました。
「それはまるで、欠けているたくさんのピースがある巨大なジグソーパズルを完成するようなものでした。
作業は時として喜びでもありましたし、また時として苦痛でもありました。
毎日、片方の目で笑い、もう片方の目で泣きました」

Part 3 本文和訳

ドレスデンは列車でベルリンから南へ約2時間、プラハから北へ約2時間の所に位置しています。
「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれ、街は大切な文化の中心地と見なされています。
初代の聖母教会は、1726年から1743年にかけてドレスデン市民からの寄付金で建てられました。
プロテスタントの教会建築の最も重要な代表例であったと言われ、ドレスデン市民の畏怖と尊敬の対象でもあったに違いないと言われています。

再建チームのリーダーのカール・ハインツ・シューツホールドは次のように語りました。
「私たちはガレキから、建物の壊れた破片から始めました。破片がどこにピッタリ合うのかを確実に推測するために1つひとつの破片を細かく調べなければいけませんでした」

装飾の施された建物のカタマリから、壁や柱や丸屋根からの破片に至るまで多岐にわたるガレキから、全部で9,286個の石が回収されました。
外壁から7,110個の石のうち、わずか3,539個だけが聖母教会で再利用するのに適していると判断されました。
残りは火災によってあまりにひどい損傷を受けていました。

ショーンフェルドは「どの石にも注意深く番号がつけられ、特徴が書かれました。
代わりに使う新しい石を切るために、失われたり、損傷を受けた石がどこにあったのかを推測しなければいけませんでした。」と語りました。

Part 4 本文和訳

この事業の総工費は2億1700万ドルに上りました。
世界中の人から再建事業にお金が寄付されました。
攻撃を指揮したイギリスは、再建に向けて1億2,000万ドル以上寄付しました。
ドレスデン市とつながりのあるアメリカの組織ドレスデン友の会は、数百万ドル集めました。
第2次大戦は人々を引き離しましたが、この再建事業は人々が寄りを戻すのに役立っていました。

事業のリーダーたちには、再建作業で導いてくれるわずか3組の不完全な図面しかありませんでした。
数千もの古い写真、教会当局が保管していた記録、人々の記憶に頼らなければいけませんでした。
ショーンフェルドは次のように語りました。
「正面玄関を昔のままに再建したいと思っていましたが、誰も玄関の彫刻を十分はっきりとは言い表せませんでした。
ですから、聖母教会で結婚したかもしれない人ならだれにでも、ご自身の結婚式の写真やご両親やおじいさん・おばあさんの結婚式の写真を送っていただくようにお願いしました。
新婚さんたちは式の後、聖母教会の正面玄関の外でよく写真を撮っていたからです。

どの石の写真も、寸法も一つ残らずコンピューターに入力されました。
今度は、コンピューターが、現存する部分から判断して、例えば丸屋根の失われた部分を表したりする1万枚以上の細部の画像を作成しました。
コンピューターがなければ、再建は不可能だったことでしょう。

Part 5 本文和訳

2005年10月31日月曜日午前10時、聖母教会の鐘が街中に鳴り響きました。
完成式典はドイツのテレビで生中継されました。教会の外には約6万人の人が、巨大スクリーンで式典を見るために集まりました。
群衆のうちの多くが目に涙をたたえていました。

新しい建物の3分の1以上が、廃墟から回収された古い、暗い色の石で作られています。
残りは新しい、明るい色の石で作られています。
新旧の石は過去と現在のモザイクを作り、初代の聖母教会が戦争によって破壊されたということを長い間、思い出させるものとして役立つことでしょう。

聖母教会の再建は、ドレスデンに一番有名な目印を戻してくれました。
教会の歴史から考えて、聖母教会はイギリスとドイツの間の和解の象徴となっています。
教会の丸屋根のてっぺんにある金の十字架は、1945年ドレスデンを爆撃したイギリス人パイロットのうちの1人の子供によって作られました。

聖母教会の再建は、信じられないほどの奇跡です。
再建は、人々が努力すれば、暗い過去に生きるのをやめ、協力し合えることを示す愛の行為です。
新しい、明るい色の石が年を経て黒ずむまでに、世界が生きていくのにもっと適した場所になっていることを私たちは願っています。