PROMINENCE 2 Lesson 7 Ferrari and Cast-iron Teapots

Lesson 7
Ferrari and Cast‐iron Teapots
フェラーリと鋳鉄製急須

子供は何かに完全に夢中になることが、よくあります。興味のあるおもちゃについての知識で大人たちを驚かせることが、よくあるものです。みなさんはとても小っちゃかった頃、何かに夢中になっていましたか?
この章で学ぶ予定のデザイナーは、そういう子供でした。3歳くらいのとき、車の絵をかき始めました。お家の人は、この子にペンを持たせないようにしました。家の至る所に車の絵をかいてしまうからです。では、この子がどうなったのか見てみましょう。

Part 1 本文和訳

イタリア語がまったくしゃべれない36歳の日本人デザイナーが、フェラーリを含む世界的に有名な車を作るデザイナーたちが所属する、有名なデザインスタジオ、ピニンファリーナで働くことを決意しました。カリフォルニアにあるデザインセンターの責任者で、自分専属の部屋も秘書も持っていました。しかし、この新しい仕事では、給料は50%減るし、自分の部屋も秘書もないことになっていました。

こうした不利なことすべてにもかかわらず、なぜ仕事を変えたいと思ったのでしょうか? 実は、長い間ずっと、ピニンファリーナで自分自身の作品を作りたいと切望していたのでした。なぜなら、ピニンファリーナは車を設計した人物の名前を公表するカーデザイン界で唯一の会社だからです。

GMで8年間、ポルシェで2年間働いた後、ピニンファリーナでデザイナーとしての経歴を再出発させました。

7年後、フェラーリの創立者の名前にちなんだ記念モデル、エンツォ・フェラーリが2002年パリ・モーターショーで発表されました。デザイナーの名前は奥山清行と公表されました。

Part 2 本文和訳

奥山さんの経歴は、単純なものではありません。カリフォルニアの美術大学を卒業後、日本たたきが起きていたときに、GMで初の非アメリカ人のデザイナーになりました。日本車を破壊しようとする社会運動がありました。スパイなのではないかと疑われたことさえあります。奥山さんの人生で一番つらい時期だったのは確かなのですが、努力したおかげで3年連続、社内のベストデザイナーに選ばれました。

奥山さんは、自らの経験からコミュニケーションの大切さを学びました。米国、ドイツ、イタリアでは外国語でのコミュニケーションに苦労し、文化の壁を乗り越えました。奥山さんはこう語ります。「沈黙は悪だ。コミュニケーションが成功へのカギだ。デザイナーにとってさえも、仕事の3分の2を占めるものはコミュニケーションだ。真の消費者を見つけ、正しい情報を引き出さなければいけない。そうした消費者に向けてデザインし、確実に製品情報を伝えなければいけない。優れた製品をデザインできるかどうかは、コミュニケーション能力にかかっている」

2006年、初の非イタリア人のデザインディレクターになったのですが、ピニンファリーナを去る決心をしました。追いかけるべき他の夢を見つけたのでした。

Part 3 本文和訳

すべては山形県の奥山さんの故郷のファミリーレストランから始まりました。休暇でイタリアから故郷に帰っていましたが、見慣れた山々に古い車を含むゴミを見つけて悲しくなりました。旧友に会ったとき、ファミレスの係の人がコーヒーのお替りをするのが嫌になってしまうまで、故郷や仕事や将来のことを話し続けました。故郷の産業は低迷し、地元商店は店仕舞するという状況で、故郷が深刻な状態にあることは明らかでした。イタリアで学んだ生産方式を適用して、自分のデザインで地場産業を復活させようと奥山さんが決心したのは、その時でした。

小さな工場が国中に散らばっている状態で、イタリアの生産は中小企業に多くを負っています。従業員50人未満の企業の半数以上が独自の製品を輸出しています。ローマを間に挟まないで、直接ビジネスを行っています。一方、日本の企業は東京を経由してビジネスを行っています。

奥山さんと友人たちは、2003年に山形カロッツェリア・プロジェクトを立ち上げました。奥山さんのデザインと山形の職人の卓越した技術を組み合わせることで、革新的な製品を作ることができました。「まゆ」と呼ばれる鋳鉄製の急須を含む山形カロッチェリア・プロジェクトの製品は、パリのメゾンエオブジェで高く評価されました。このニュースは、故郷にいるたくさんの日本人に興味を抱かせました。

Part 4 本文和訳

立派な技を持っている職人が日本の産業の中心であるべきだ、と奥山さんはいつも信じてきました。しかし、職人さんたちにも問題がないわけではありません。

1つには、日本の職人は、他の人が言うことにそれほど注意を払わないように思える点です。職人たちは、誰かの手助けがなくてもよく売れる商品を作ることができると信じています。「沈黙は美徳だ」と信じているようにも思えます。1度か2度、奥山さんがある職人さんにイスの図案を見せたときに、その職人さんはうまく行かないだろうとわかっていながら、この点については一言も言いませんでした。試作品ができたときに、思った通り、簡単に壊れてしまいました。奥山さんはこう言いました。「時間とエネルギーを省くために、その職人さんには本当のことを言ってほしかった。自分の考えについて何も言わなくても、自分の考えを行きわたらせることができると思っていて、日本人はコミュニケーションの重要性にほとんど重きを置いてきていない。でも、こうした考え方が商売での成功の確率を低くしている、と私は信じている」

もう1つ問題があります。こうした優秀な職人の多くが50代、60代です。しかし、職人の技を伝えていくべき若い後継者がいないのです。一般的に言って、日本では職人が高く尊敬されないし、給料も高くないから、若い人たちは職人の仕事が魅力的だと思わないのです。対照的にイタリアでは、立派な技術を持った職人は尊敬され、それ相当の収入を得ています。日本の職人より約10倍も高い場合もあります。日本はもっと職人を大いに尊敬し、価値を置くべきです。そうしないと日本は、とても大切な資源を失うことになるでしょう。

Part 5 本文和訳

「生産と破壊は一緒にやって来る」と奥山さんは言います。何か新しいものがやって来ると、何か古いものがなくなります。何か新しいものを作れば、代わりに何か古いものを壊していることになります。奥山さんはこう主張します。

「すぐに忘れられ、捨てられてしまうものを作り続けることには何の意味もない。私が死んだ後でも、人々とともにあるようなものを作る必要がある。さらに、自分の作品を通じて将来のユーザーとコミュニケーションを取り続けられるように、私の作るすべての作品に魂を込めていくつもりだ」

この点に関連して、奥山さんは次のように言っています。「私にとって、イタリアでフェラーリをデザインするのと、山形で急須をデザインすることには何の違いもない。本質は同じだ。仲間の職人たちと一緒に働くことで、僕たちは将来のお客さんたちのために製品をデザインし、作っている」

奥山さんはこう言います。

「人は自分自身の生活をデザインする。私はデザイナーとして人々の生活を豊かにするお役に立ちたい。フェラーリをデザインしたデザイナーとしてよりはむしろ、そんな風に皆さんに私を覚えてもらいたい」