PROMINENCE 2 Lesson 4 Mission Completed The Story of Hayabusa

Lesson 4
Mission Completed -The Story of Hayabusa-
計画完了 ― はやぶさ物語 ―

Part 1 本文和訳

地球の外の世界はとても興味深くて、疑問が尽きることはありません。日本の科学者の中には、いつ、どのようにして太陽系が始まったのかを知りたいと思う人もいました。地球から遠く離れたある場所には、太陽系の始まりに関する情報があると信じ、そこに行く計画を立てました。ここに起こったことがあります。

2003年5月9日、小惑星探査機「はやぶさ」がJAXAによって打ち上げられました。はやぶさは小惑星の表面のサンプルを地球に持って帰るために作られました。持ち帰ったサンプルが太陽系の歴史についての情報を持っているかもしれないと期待されていました。人類がそれまでに月以外の天体に着陸して、そこから帰ってくることに成功したことがありませんでしたから、はやぶさ計画は、大きな難問でした。はやぶさの目的地は小惑星イトカワでした。イトカワは日本の宇宙探査の草分け・糸川英夫博士にちなんで名づけられました。

20世紀の中ごろ、ソビエト連邦とアメリカ合衆国が宇宙探査に多額のお金と多大な精力を使い始めました。日本もまた、第2次大戦から立ち直っている途中で、宇宙探査計画を開始しました。しかし、あまりたくさんのお金をかけることはできませんでした。糸川博士と博士のチームは、こうした探査計画に大きく関わっていましたが、たいていは失敗に終わっていました。しかし、こうした失敗が将来の成功につながると、博士は信じていました。博士のポジティブな態度はJAXAのはやぶさ作戦チームに受け継がれていました。

Part 2 本文和訳

はやぶさは、たくさんの未来の宇宙科学技術を導入しました。例えば、イオンエンジンです。イオンエンジンを開発した國中均工学博士は次のように語りました。「科学技術の発展は、必ずしも望むようには進みません。もちろん、何度かほとんど打ちのめされたと感じまし はやぶさは自らすべてを決定する必要がありました。イトカワが地球から約3億km離れていたからです。はやぶさが作戦チームと交信するのに約40分かかりました。

新しい技術の「ターゲットマーカー」がはやぶさに使われました。イトカワに着陸する前に、はやぶさは灯台のような役目を果たす小さな装置・ターゲットマーカーを着陸地点に投下しました。ターゲットマーカーがはやぶさからの光を反射して、はやぶさをイトカワに誘導しました。この反射光のおかげで、はやぶさは位置を認識し、所定の位置に着陸できたのです。

しかし、イトカワには問題がありました。イトカワの重力はとても弱かったのです。ターゲットマーカーを作った澤井秀次郎博士はこの問題を解くためのユニークな考えを考案しました。

澤井はこう語りました。「日本の伝統的な遊び・お手玉にヒントを得ました。どのお手玉の中にも何十という豆が入っています。お手玉の袋の中で互いに衝突しあう時に、豆が衝撃を吸収してくれます。そんなわけで、お手玉は床に落とされても跳ね返らないのです。ターゲットマーカーは豆のようなもので満たされました。ターゲットマーカーの中にあるこうした「豆」のおかげで、跳ね返ったり、宇宙空間に飛び去ったりしなかったのです」
こうした技術のおかげで、はやぶさがイトカワに着陸できたのは、2005年11月20日のことでした。

Part 3 本文和訳

作戦チームがはやぶさをイトカワに着陸させたとき、作戦チームの技術者の中には、計画が成功したと考える人もいました。しかし、はやぶさがイトカワの表面からサンプルを集めたのかどうか確信が持てないために、満足しない技術者もいました。実際には、最初に着陸したときに、はやぶさは真っ直ぐに立っていませんでした。2つのグループに別れた技術者たちは、この問題について激しく議論しました。問題は2回目の着陸のために、はやぶさをイトカワに試しに送ってみるべきかどうかというものでした。プロジェクトマネージャーの川口博士は最終決断を迫られました。チームの目標がサンプルを手に入れることだったので、最終的に、川口はやってみることに決めました。11月26日、2回目の着陸が行われ、着陸後すぐに、はやぶさは地球に向かって出発しました。

12月に、作戦チームは、はやぶさとの交信を失いました。多分、最初の着陸で受けたダメージのせいで、はやぶさのアンテナが地球の方を向いていない、とチームのメンバーは推測しました。はやぶさはコースを外れてしまいました。
作戦チームは必死に指令を送り続けました。7週間後に、どういうわけか、はやぶさからの弱々しい信号を受信しました。しかし、作戦チームがはやぶさを正しい軌道にどうにか戻せたのは、1年以上後のことでした。はやぶさは、2007年に地球への帰途につきました。2007年は当初、帰還する予定になっていた年でした。

長い飛行のせいで、はやぶさはダメージを受けていました。2009年には、はやぶさの4つあるエンジンが壊れました。誰もがみんな飛行計画を完遂するのは不可能ではないかと思いました。しかし、國中博士と博士の部下の技術者たちは秘密の回路を組み込んで、エンジンにつないでいたのでした。この回路のおかげで、2つの損傷を受けていたエンジンが1つのエンジンとして機能したのです。

作戦チームの入念な準備とポジティブな姿勢のおかげで、はやぶさは2010年に地球に帰還すると計算されました。

Part 4 本文和訳

2010年6月13日、地球から4万㎞のところで、はやぶさはイトカワからのサンプルの入ったカプセルを放出しました。
その後、はやぶさは地球の写真を撮りました。これが川口博士からの最後の指令でした。川口は、はやぶさに故郷を最後に見てもらいたかったのです。はやぶさとカプセルは大気圏に突入するとすぐに、激しい熱にさらされました。そして、耐えられるように設計されているのはカプセルだけでした。カプセルをオーストラリアのウーメラ砂漠の方向に向けて投下した後、はやぶさは多くの人に見守られ、「流れ星」になりました。

「様々な問題にもかかわらず、カプセルは着陸地域の真ん中に着陸しました。はやぶさの帰還はとてもうまくいきましたから、ほとんど架空のことのように感じられました」と川口博士は言いました。

数日後、JAXAはカプセルに微粒子を見つけ、この微粒子はイトカワの断片だと判断されました。はやぶさが地球から3億㎞離れた微粒子を捕獲し、5年後に持って帰るのに成功したという知らせは世界中でたくさんの人を元気づけました。壮大な飛行計画はついに完了しました。

近い将来、はやぶさ-2が、イトカワよりもたくさん有機物質を含んでいると考えられる1999JU3に行く計画になっています。どのような種類の有機物質が、地球の外の太陽系に存在するのでしょうか? 地球の生命と何か関係を持っているのでしょうか? ――はやぶさ-2がこうした問いに答えようとしてくれるでしょう。