PRO-VISION 2 Lesson 6 Shedding Tears for My Patients

Lesson 6
Shedding Tears for My Patients
患者さんのために涙を流しつつ

The best way to cheer yourself up is to try to cheer somebody else up.
― Mark Twain
自分を元気にする一番の方法は、誰か他の人を元気にしてあげようとすることだ。― マーク・トウェイン

Part 1 本文和訳

私は病院の小児科医、すなわち子供のためのお医者さんです。小児がんが専門です。

日本がまだ貧しい国だった、第二次大戦のすぐ後に生まれました。当時は生活水準は高くはなかったのですが、子供の頃を一番よかった時代だと思っています。一生懸命勉強したり、友達と遊びに夢中になったりした、人生のとても素晴らしい時期でした。

しかし、もし深刻な病気で病院から出られない場合には、子供であるということはそんなに楽しいものではありません。 家族や友達がいなくて寂しいですし、刺されたり突かれたりして、手術を受けるのはとても痛いですし、苦しいものです。そうした子供たちを何か助けることがしたいと思いました。そんなわけで小児科医になりました。

1970年代に小児科医として働き始めたときは、小児がんはまだ治せないと考えられていて、多くの若い命が失われました。薬が患者さんの状態における短い間の改善をもたらしていたのかもしれませんが、子供の患者さんが結局はガンに負けてしまうというケースがあまりに多くありました。人間存在の自然な流れでは、赤ん坊は成長し子供になり、子供は成長し大人になり、大人は徐々に年を取って行き、何年も経って死を迎えます。ですから、命がそんなにも若い年齢で奪われてしまうことは、一体どうして正しいと言えるでしょうか? 子供たちの命を救いたいと思い、そして小児がんの専門医になる決心をしました。

Part 2 本文和訳

現場での最初の年に治療した1人の幼い女の子のことはどうしても忘れられません。私が看取った最初の患者さんでした。心臓が止まった時、女の子の胸に聴診器を当て続けました。心臓マッサージをし、口移しの人工呼吸をしました。でも、反応はありませんでした。自分の心臓の鼓動は高まり、指が震えているのが分かりました。女の子の目は閉じたままで、呼吸は止まったままでした。彼女はまだ5歳でした。それで死んでしまったのです。涙が止まりませんでした。

その後、患者さんが死ぬたびに、泣き崩れました。「本当にプロだったら、泣いたりはしないだろうに」と考えました。感傷的になりすぎていて、医師としてやっていけないのではないかと思い始めました。私が患者さんたちにとても感情的に関わるようになっているのを見て、先輩医師は1つのアドバイスをくれました。「ガンを持つ子供たちを助けることに身を捧げることは大切だ――しかし、それはしょせん仕事にすぎないんだということを覚えておくべきだ。仕事と個人の生活を切り離さないといけない、そうしないと、この仕事を長くは続けられないよ」 このアドバイスをくれた医師が涙を流すのを1度も見たことがありませんでした。

私たち以前の世代の医師たちは、私たちよりもずっと多くの子供たちをガンで失っていたのですから、ひょっとするととても冷静で、落ち着いていなければいけなかったのかもしれません。にもかかわらず、子供の患者さんたちと時間を過ごし、この患者さんたちのうちの何人かが亡くなるのを見るうちに、あまりにも大きな悲しみのせいで自分が燃え尽きてしまうのなら、それならそれで仕方ないと感じるようになりました。もし患者さんの死に接して涙を流せなくなってしまったら、医者であることをやめた方がましでしょう。

WINDOW 1

Raising awareness about childhood cancers 小児がんについての認識を高めること

小児がん治療における進歩のおかげで、今では小児がんの症例のうちの約80%が治すことができます。しかし、昔と同じようにまだ、患者さんとご家族の方々は外の世界から身を守るために壁を作ります。一方、そのような難しい状況にいる人にどう接していいのかわからなくって、他の人たちは近寄らないのです。患者さんを治療するだけではなく、細谷医師は病気の子供たちと親御さんたちを精神的に支援するために企画された様々な活動にも関わっています。こうした活動には、このことをテーマにした本の出版も含まれています。細谷医師の書いた本や翻訳した本は、小児がんを持つ子供が経験する苦悩と悲しみを人に知らせることによって、こうしたコミュニケーションギャップを埋めることが意図されています。

Part 3 本文和訳

死の直前だとしても、病気の子供たちは他の人たちを見事に思いやるものです。

シホという名の女の子は、高校卒業の頃、悪性腫瘍だと診断されました。初めのうちは、薬で何とか腫瘍を小さくできていましたが、それからガンが肺に広がりました。彼女を救う手立ては何も残っていませんでした。
「死んでしまうのなら、真っ先にやっておきたいことが1つあります」とシホは言いました。家族とボーイフレンドと一緒に北海道にスキー旅行に行く計画を持っていました。私は北海道にいる知り合いの医師に話をして、一緒にシホの願いを実現させるのを手伝いました。

シホの人生最後の日には、シホのお父さんは仕事で海外にいました。家族とボーイフレンドがそばにいて、シホはお父さんに電話をしました。苦しい中、愛情のこもった言葉をかけました。「もし生まれ変わるとしたら、またパパの子になって帰って来るわ。パパ、それでもいい?」 彼女は死ぬことになっていて、自分でもわかっていました。この言葉がお父さんへの最後の感謝を言い表す方法だったのです。死に直面して何という優しさなんでしょう!

名前をお伝えできるよりももっとたくさんの子供たちが、こうした記憶を私に残してくれています。以前は、私の涙は、悲しみと自分自身の無力さへの欲求不満によって引き起こされていました。しかし、ある時、この涙は、ひどく病んでいる子供たちが残念なほど短すぎる人生を生きた勇気と威厳に対する賞賛の涙へと変わりました。もし子供を治す方法が残っていないなら、その時はこの子が安らぎを見出し、この世界に生まれてうれしいと感じられるようにお手伝いするようにベストを尽くしたいと思ったのです。

WINDOW 2

Bring peace of mind and joy to children 子供たちに心の安らぎと喜びをもたらすこと

今では小児がんの80%が治すことができるとしても、実はまだ患者さんたちの20%はガンで死んでしまうのです。細谷医師は、そうした子供たちに残されている時間をできるだけ有意義なものにすることが正しいと強く信じています。病院にいるのが嫌で、家に帰りたいと思う子供もいますから、彼は彼ら自身の家の快適さの中で彼らを治療します。病院勤務が終わった後、夜に訪問します。真夜中に酸素ボンベを届けたこともあります。また、そらぷちキッズキャンプを作りました。ここでは子供たちは、医師や看護師のチームが待機する中、乗馬や、雪遊びをして楽しめます。

Part 4 本文和訳

6歳のツカサと5歳のソウヘイは病院の隣同士のベッドにいました。ツカサは足を複雑骨折し、歩けませんでした。ソウヘイは脳に転移してしまった腫瘍のせいで目が見えなくなっていました。

ある日、2人の小さな男の子は物語を読んでもらうことになっていました。ツカサがソウヘイのベッドに車イスで行ったとき、ソウヘイは心配して「気をつけてね」と言いました。今度はツカサが、ソウヘイの目が見えないのを十分に心得ていて、テーブルの上にある2冊の物語の本を説明して、ソウヘイがどちらの本を聞きたいのか尋ねました。

子供たちは自分よりももっと悪い状態の子に会うと、本能的に優しい言葉をかけ、特別な思いやりを見せます。自分よりも恵まれていない人を助けてあげたいと思うのは人間の自然な衝動なのです。そのことが病気と闘っている子供たちから学んだことです。

小児科医になって以来、数えきれないくらい何度も希望を失いかけました。しかし、1つのことが私を突き動かし続けています。患者さんたちの苦しみを和らげてあげることができるとすれば、私の人生は生きる価値があるという信念です。他人を救うことに献身するということは、必要とされているという感覚を与えてくれ、自分の存在には意味があると感じさせてくれます。