PRO-VISION 2 Lesson 10 Is the Internet Making Us Stupid?

Lesson 10
Is the Internet Making Us Stupid?
インターネットは私たちを「バカ」にさせているのでしょうか?

Where is the wisdom we have lost in knowledge?
Where is the knowledge we have lost in information?
―― T. S. Eliot

知識を手に入れる代わりになくしてしまった知恵はどこにあるのだろう?
情報を手に入れる代わりになくしてしまった知識はどこにあるのだろう?
―― T.S.エリオット

「知識に埋もれて、知恵が見つからず、情報に埋もれて、知識が見当たらない」

Part 1 本文和訳

ここ何年かずっと、私は不愉快な感情を抱き続けてきている。何かが私の頭脳をもて遊んでいるのだ。昔思索していたようには思索できないでいる。本を読んでいるときに、こうしたことを一番強く感じる。本に没頭することは、昔は簡単だった。心は物語の中に引き込まれ、何時間も小説の長い文章を逍遥して過ごしたものだった。こうしたことは今では、もはやほとんどない。今では私の集中は2・3ページを過ぎると、しばしば漂い始める。話の筋がわからなくなってくる。いつも脳ミソを文章に引きずり戻しているかのように感じている。以前は自然にやっていた深い読書が、努力を要するものになってきている。

何が起こっているのかわかっていると思う。今では10年以上もの間、多くの時間をネットに費やしている。ネット検索である。ネットは作家の私にとっては、とても重要な道具となってきている。昔なら色んな図書館で数日を要していた調べ物が、今では数分で出来てしまう。しかし、このような豊富な情報を即座に利用できるという利点は犠牲の上に成り立っている。ネットがやっているように思えるものは、集中力と深く考える私の能力にダメージを与えることだ。
文章はネット上のどこにでも見つけられるから、テレビが選ばれるメディアだった1970年代や1980年代に読んでいたのよりたくさんの量の文章を多分、読んでいるだろう。しかし、それは違う種類の読書であり、違った種類の考えが読書の背後には潜んでいる。ネットで物を読むせいで、深く読む能力を失いつつあるのかもしれない。印刷機を通して広く利用できるようになった、長く複雑な小説を読んで伸ばしていた技術を失いつつあるのかもしれない。

Part 2 本文和訳

1882年、フリードリヒ・ニーチェはタイプライターを買った。視力が衰え、目をページの上に集中させておくことが苦痛になってしまっていた。ニーチェはモノを書くのをすぐに断念せざるをえなくなってしまうことを恐れた。タイプライターがニーチェを救った。ひとたびブラインドタッチを身につけたら、目を閉じてても書くことができた。言葉はもう1度、ニーチェの脳からページに流れることができた。

しかし、タイプライターはニーチェの著作に影響を与えた。ニーチェの友人の1人はニーチェの文体の変化に気づいた。当時から十分簡潔だった文体がさらに一層簡潔になっていった。タイプライターの影響のために、ニーチェの文章は議論調から警句調に変わり、修辞に満ちた文体から電信の文体へと変わった。

人の頭脳は、ほとんど際限なく変わることができる。神経科学の教授はこう言う。「大人の脳であっても、とても柔軟です。脳は活動中に自己を再プログラムする能力を持っていて、脳が働く方法を変えるのです」

身体能力というよりもむしろ知的能力を高めてくれる道具である「知的技術」を使うと、こうした技術の本質を身につけ始める。14世紀に広く使われるようになった時計が、格好の例を提供してくれる。時計の規則正しい一定の刻みが、科学的な精神と科学的な人を誕生させるのに役立った。しかし、一方で、何かを奪い去った。いつ食事をすればいいのか、いつ働けばいいのか、いつ寝ればいいのか、いつ起きればいいのかを決めるとき、自らの感覚に耳を傾けなくなり、時計に従うようになった。

新たな知的技術に適応する方法は、自分自身を言い表す変化していく比喩に反映される。時計が登場すると、人々は自分たちの頭脳を「時計仕掛けのように」動くものと見なし始めた。今日、ソフトウェアの時代には、自分たちの頭脳を「コンピューターのように」動くと見なすようになっている。

Part 3 本文和訳

計り知れないくらい強力なコンピューターシステムであるネットは、現代の他の知的技術のほとんどすべてに取って代わりつつある。ネットは私たちの地図となり、時計となり、印刷機となり、タイプライターとなり、ラジオやテレビとなっている。

例えば、新聞社のサイトにある最新の見出しを読んでいるときにも、新着メールがあれば、着信を知らせてくれるかもしれない。結果は注意を分散させることになる。

通信システムが、今日のネットほど、これ程までに多くの役割を実生活で果たしたことは1度もないし、私たちの考え方にこんなにも幅広い影響を持ったことも1度もない。しかし、ネットが私たちをどのように再プログラムしようとしているのかに関する考察はほとんど存在しない。

世界で一番人気の高い検索エンジンを運営する会社は、その会社の使命は世界中の情報を組織化し、誰でも利用でき、誰にとっても役に立つものにすることだと明言している。この企業は「完璧な検索エンジン」、すなわち「何を意図しているのかを正確に理解し、欲しいものを正確に与えてくれる」ものを開発しようとしている。この会社の観点では、情報は1種の商品、すなわち産業の効率化によって処理されうる有益な資源である。情報を「利用」できる量が多ければ多いほど、そうした情報の意味を理解できるスピードが速ければ速いほど、考える人としてより創造的になれる。

これはどこで終わるのか? この検索エンジンの会社は、才能豊かな2人の若者によって創設された。2人は、自分たちの検索エンジンを人工知能にする願望について何度も語っている。「もし世界中の情報を直接君の頭脳、あるいは君の頭脳より賢い人工知能に接続させることができたなら、もっといい状態になるだろう」と、2人は言っている。

もし脳ミソが人工頭脳に取って代わられれば、みんな「もっといい状態になる」という2人の信念は心配だ。知性とは分離でき、測定でき、もっと効率的なものにできる一連の特定の段階だということを、これは示している。
2人の住む世界では、すなわち、私たちがネットにつながるときに入って行く世界では、深い思索のできる場所はほとんどない。人の頭脳は、もっと速い処理機器ともっと大容量のハードディスクを必要とするコンピューターにすぎない。

WINDOW 1

The history of “intellectual technology” 「知的技術」の歴史

invention 発明
military 軍の
commercial 商業の、民間用の
cellular 携帯電話の、細胞の
network ネットワーク
worldwide 世界中に及ぶ・広がる
common 共通な、一般的な
social networking service SNS

15世紀 印刷機の発明
1867年 タイプライターの発明
1876年 電話の発明
1895年 ラジオの発明
1925年 テレビの発明
1940年代 コンピューターの発明
1970年代 軍事利用のためのインターネットの発明
1979年  最初の商用携帯電話網の開始
1980年代 ワ-ドプロセッサーの発明
1990年代 インターネットの世界的な利用
2000年代 SNSの一般利用の開始

Part 4 本文和訳

もしかすると私が心配しすぎているだけなのかもしれない。すべての科学技術の進歩はよいものだと言う傾向があるのとちょうど同じように、あらゆる新しい道具や機械の最悪を予想する逆の傾向がある。

15世紀のグーテンベルクの印刷機の到来は、多くの人にとって動揺させるものだった。あるイタリアの人道主義者は、もっと多くの書物が利用できるようになれば知的怠慢につながり、人は「ますます勉強しな」くなり、知力は衰えることになるだろうと危惧した。しかし、この批判する人たちは、印刷された言葉がもたらしてくれる数多くの恩恵を想像できなかった。

ひょっとして、ネットを批判する人は懐古主義者だという人たちの方が正しいことが証明されることになるかもしれない。知的発見と普遍的英知の黄金期が始まるのかもしれない。ネットは印刷機に取って代わるかもしれないが、ネットは何かまったく異なるものを作りだす。深い読書は、ただ作者の言葉から獲得する知識の点で価値があるだけではない。作者の言葉によって読者自身の精神の内部に作りだされる知的なゆらめきの点でも価値がある。本を静かに集中しながら読むときに、自分自身の特別な考えを育み始める。深い読書は深い思索と同じだ。

もしこうした静かな時を失うなら、すなわち、静かな時を「内容」で満たしてしまうなら、自分自身の中にある何か大切なものを失うだけではなく、文化の中にある大切な何かを犠牲にすることになろう。

作家リチャード・フォアマンはこう述べた。「私たちは『パンケーキ人間』になってしまうのを覚悟の上で危険を冒しています。パンケーキ人間というのは、ボタンに触れることでネットにつながると、幅が広くてうすっぺらに広がる人のことです」

ボタンに触れて即席のお手軽情報を入手できる快適さを手にしてはいるが、機械のようなものになってしまう危険に直面している。世界を理解するためにコンピューターに頼るようになるにつれて、人工知能になってしまうのは、私たち自身の知性に他ならない。

WINDOW 2

印刷機の技術は15世紀にドイツで発明されました。それ以前は、書物はインクで手書きされていました。1冊の書物を完成するのに1~2か月はかかりました。しかし、印刷機が発明されると、1週間で1冊の本を500部まで印刷することが可能になりました。本が広く利用できるようになったおかげで、ますます多くの人が読めるようになりました。読み書きの能力がアップするにつれて、本に対する需要もまた増えていきました。印刷機の誕生によって、本はもはや学者や修道士のためだけのものではなくなったのです。

グーテンベルク聖書の1ページ。グーテンベルク聖書は、印刷機で作成された最初の主要な書物でした。