LANDMARK 2 Lesson 8 Edo: A Sustainable Society

Lesson 8
Edo: A Sustainable Society 江戸:持続可能な社会

Part 1 本文和訳

日本で私たちは 1 年に約 5 億トンものごみを捨てていますが,その 10 分の 1 は家庭と職場から出ています。それは私たちが 1 日に 1 人あたり約 1 キロのごみを捨てていることを意味します。大量生産と大量消費の社会において,私たちは莫大な量のごみを捨てています。近い将来,私たちがごみに埋もれて生活しなければならない日がやって来るかもしれません。もしあなたが環境問題に興味があるなら,「3R」という表現を知っているかもしれません。

それは Reduce(ごみを減らす),Reuse(再使用する),Recycle(再生利用する)を意味します。それは 2000 年に循環型社会形成推進基本法として紹介されて以来一般的になっています。今日では,日本だけでなく,世界のほかの地域でも,持続可能な社会を追求するための多くの施策が取られています。驚いたことに,江戸時代(1603~1867)の人々はそのような社会を実際に達成しました。当時,ほぼすべての資源が再生利用され,そうすることで環境への被害を最小限に減らしたのです。

Part 2 本文和訳

江戸時代の生活をもっと詳しく見てみましょう。服は当時とても貴重で高価だったので,庶民は古物商から古着を買ったり,服をほかの目的に再生利用したりしました。すり切れた服は床ふき用のぞうきんとして再使用され,最後には燃やして灰にされました。人々はその灰を肥料として利用したり,染料や洗剤に用いたり,灰買い付け業者に売ったりさえしました。買い付け業者はその後,肥料として灰を農家に売ったものでした。

紙について言えば,人々はそれを何度も使用してから古紙買い付け業者に売りました。こういった買い付け業者は製紙業者に紙を転売し,その製紙業者はそれを再生紙に作りかえました。さらに,古紙回収業者が,古紙買い付け業者に売る紙くずを拾いながら町を歩き回りました。一方,印刷された紙は世代から世代へと伝えられました。記録によれば,「寺子屋」(temple school)にあった 1 冊の算術の教科書は 109 年間も使われていました。

家財道具が壊れたら,決して捨てられたりせず,専門の職人によって修理されました。たとえば,鋳掛け屋(鋳造物の修理業者)は古い平なべ,やかん,かまを修理しました。瀬戸物焼き継ぎ(陶磁器の修理業者)は割れた皿やどんぶりを接着剤で直しました。

Part 3 本文和訳

さまざまな種類の買い取り業者,修理業者,回収業者が再使用や再生利用に携わっていました。最もユニークな例の 1 つは,「取っけえべえ(交換しよう),取っけえべえ」と歌いながら町を歩きまわる金属回収業者でした。彼らは,子どもたちが遊んでいる最中に見つけた古い釘やほかの金属片の見返りに,小さな玩具や飴を子どもたちに与えました。

みなさんは江戸時代の人々が人糞(人間の排泄物)さえも再生利用したと知ったら驚くかもしれません。当時,人糞は農民にとって最も大切な肥料源でした。農民は定期的に民家を訪問し,人糞の見返りにお金を払ったり,彼らが育てた野菜を与えたりしました。のちに人糞小売業者が現れ,町の住民から農民に売る人糞を買い取りました。

再生利用は社会の隅々まで十分に実践されていましたが,それは通常の生活の一部でしかなかったので,再生利用を表す言葉はありませんでした。さらに,再生利用には多くの種類の仕事を創出するという都合のよい効果もありました。江戸時代には失業はほとんどなかったと言われています。

Part 4 本文和訳

江戸時代の循環型社会のおかげで,日本は自然環境と人々の生活の両方を改善しました。実際,その時代の間に国は劇的に変化しました。江戸時代が始まったころ,山で多くの木が材木用に切り倒されました。その結果,多くの洪水が起こり,川沿いの広い地域が損害を受けました。それにより,日本は増加する人口に対して農業生産を拡大することができませんでした。日本は,利用できる耕作可能な土地をすべて用いながら,1,200 万人という増加する人口をなんとか養うのがやっとでした。

しかし,200 年後の江戸時代後期には,状況は大きく変化しました。人口は 2.5 倍に増加していましたが,環境は悪化する兆しをほとんど見せませんでした。森林破壊は抑えられ,森林は再び息を吹き返しました。洪水が減少したので,農地は広げられ,生産性が以前より高められました。自然保護は,都会でも田舎でも,社会のあらゆる地域で実行されました。

全体の生活水準は高まり,庶民は以前よりきちんと食事を与えられて健康でした。そのことは,どんな客観的基準に照らしても,後にも先にも,ほかのどこにも見られない注目すべき成果でした。

Part 5 本文和訳

江戸時代の循環型社会はなぜそれほどまでに成功したのでしょうか。当時,日本は国家的な孤立[鎖国]政策のために,生活のあらゆる面において自給自足しなければなりませんでした。国内の物品や資源は非常に限られていたので,庶民は持っている物を再生利用する必要がありました。あらゆる物が有益な資源として扱われ,さまざまな商人が,社会で必要とされるどんな物でも再生利用する手助けをしました。

さらに,当時の庶民のものの見方も循環型社会を発展させるのに重要な役割を果たしました。彼らは謙虚さを尊び,物を浪費することをひどく嫌いました。この考え方は,自然の機能の仕方とその限界を理解することからきていました。庶民は質素な生活に満足感を見出し,そこでは世の中から必要なだけを取り,それ以上は取らなかったのです。

私たちは江戸時代の生活に戻ることはできませんし,その生活様式を現代社会に当てはめることもできません。しかし,「必要なだけで十分」というその考え方は,「もったいない」つまり what a waste という言葉の中に生かされており,その言葉は今でも私たちの日常生活でよく耳にします。