GENIUS 2 Lesson 8 Emotions Gone Wild

Lesson 8 Emotions Gone Wild

Part 1 本文和訳

最近ケニヤとタンザニアに旅行したことにより,わたしは象の世界に眼が開かれた。ケニヤの北部,サンブル国立保護区に棲む野生の象の群れを観ていたとき,中の1頭バビルの歩き方がじつにゆっくりしていることに気づいたのだ。彼女は足が不自由で,群れの他の象たちのようには速く歩くことができないらしい。ところが,バビルの群れの他の象たちがバビルのことを待っているのに気がついた。

わたしが,ガイドを務めてくれている象専門の動物学者イアン・ダグラス=ハミルトンにこのことを訊いてみると,これらの象たちはいつもバビルのことを待ってやり,それはもう何年も続いているという。ダグラス=ハミルトンは,雌のリーダーがときどきバビルに食べ物を与えてさえいるとも言った。

こうして群れの他の象たちはこういう行動を取るのであろうか? 彼女を助ける理由とか,実際に得をすることなどは,なにもないように思われる。われわれが導き出すことのできた唯一の結論は,他の象たちはバビルのことを気づかい,群れにいつまでもいてもらうために自分たちの行動を調節しているということであった。

バビルの友人たちは何も特別な例ではない。2006 年 10 月にインド東部で 14 頭の象の群れが,水路に落ちて溺死した仲間の象を探して,小さな村落に突っ込んできたことがある。
村人たちがその 17 歳の雌の象をすでに埋葬し終えていたのだが,それでも,他の象たちが3日間というもの雌象を探して村落を荒らしまわったため,何千人もの住民は命からがら家を棄てて逃げ出すしかなかった。
これらの実例は,象にも“感情”があることを示しているのであろうか?

Part 2 本文和訳

まず第一に,「感情とは何であるのか?」という問いに答えるのは,きわめて難しい。われわれのほとんどは,感情というのは見れば分かるが,その定義となると,なかなか難しい。動物の感情をはじめて体系的に研究した科学者チャールズ・ダーウィンは,怒り,喜び,悲しみ,不快感,恐怖,驚きの6つを普遍的な感情として挙げている。

これらの基本的感情によってわれわれは,非常に多様な環境の変化に速やかに対応でき,複雑な社会的世界の中で身を処してゆくことができるという。その後その他の科学者が,とりわけ嫉妬,軽蔑,同情,罪悪感などの感情をダーウィンのリストに付け加えている。

これらの感情のうち,動物の経験する感情は果たしてあるのであろうか? そして動物は人間が感じないような感情を経験したりするのであろうか? これは非常に興味深い問題である。象の生態を長年にわたって研究してきた動物行動学者のジョイス・プールは,「象が人間の感じない感情を感じており,その逆もまた真であると信じている反面,動物と人間が共通して感じている感情もまた多いと信じている」と記している。

プールの意見が正しいとすると,動物が感じてはいるが人間には決して理解できない感情がいくつかあるかもしれない。同時に,われわれが理解でき,動物と共有している感情もいくつかあることになる。動物は,人間であると人間でないとを問わず,遊んだり,愛する者と再会したときに幸せを感ずるものなのであろうか?

動物は親しい友を失ったときに悲しくなったりはしないのだろうか? 狼たちが仲間に再会して,円を描いて前後にゆるやかにしっぽを振り,鼻を鳴らしながら跳びまわるとき,それは喜びを表現しているのではないのか?

同様に,動物たちがその群れを離れたり,友人の死にふさぎ込んで,食べるのを止めたり,さらには死んでしまったりするときに示す感情を,悲しみ以外の名前で呼ぶことなどできるだろうか? 個々の違いこそあれ,確かにすべての動物種は似たような感情の核を共有しているにちがいない。

Part 3 本文和訳

研究者は普通,第一次と第二次との,2つの種類の感情を考える。第一次感情とは,基本的な,生まれついての感情のことである。この感情には,危険を示す刺激に対する瞬間的な,反射神経的な(“自動的”ないしは“組み込まれ式”の)恐怖と闘争逃避の反応も含まれる。この感情は意識的な認識を必要とせず,ダーウィンの6つの基本的感情もここに含まれる。動物は,反応を生じさせる対象を認識しないうちから,ほとんど無意識的に,対象を避けるような第一次の恐怖反応を起こすことができる。

甲高い騒々しい鳴き声,ある種の臭気,頭上を飛んでくる物体──これら,およびそれ以外の類似の刺激は,自動的な回避反応を起こす“危険”の合図となる。動物が危険な刺激を前にしたときは,間違いを犯す可能性はほとんどあるいはまったくなく,それゆえ自然淘汰により,個体の生存に決定的な意味をもつ先天的反応が生まれてきた。

第二次感情はもっと複雑な感情であり,大脳皮質のより高度の頭脳中枢に関わってくる。それは恐怖や怒りといった中核感情に関わることもあれば,後悔,憧憬,嫉妬などを含む,もっと微妙な色合いの感情に関わることもある。第二次感情は自動的ではない。

それは頭脳において処理され,個体はそれについて考慮し,それについて何をなすべきか──それぞれの状況においてどういう行動を取るのが最良か,考える。意識的な思考と第二次感情によって,第一次感情を引き起こした状況をわれわれがどう評価するかに変化が生じてくることもある。見えざるものが頭上に飛来してくれば,身をかわすことがあろうが,それが影でしかないと分かれば,逃げ出したりせずに,激しい当惑を覚えながらも,背筋を伸ばし,何事もなかったかのような顔をすることだろう。

Part 4 本文和訳

感情移入あるいは思いやりというのは,動物に見られる重要な第二次感情と言える。というのも,これは他者に対する無私の気づかいを表しているからである。アラスカ州のホーマーにいた頃,母親がロシア川のそばで射殺され孤児になったあと,身を寄せ合うようにして生きている2頭のグリズリーベアの子熊のことを読んだことがある。

雌の子熊は,傷を負った弟の子熊が足を引きずって歩き,泳ぐのも遅く,餌を手にするにも助けてもらわないといけない状態だったのに,弟熊から離れることはなかったという。それを観ていた人は,「雌の子熊が姿を現し,魚を捕ると,それを持って帰り,そして弟の熊に食べさせた」と記している。雌の子熊ははっきりと弟の世話をしていたのである。

またインドのテズプルでは,赤ちゃん猿が車にひかれたあと,約百匹ものアカゲザルの群れが交通を遮断してしまった話も伝わっている。アカゲザルたちは,後ろ脚を潰され,動けないまま路上に横たわっている負傷した赤ちゃん猿を取り囲み,すべての車の通行を遮断したのだった。地元の商店主は語っている──「感動的だったねえ…何匹かの猿は赤ちゃん猿の脚をさすってたよ。最後に猿たちは赤ちゃんを連れて,その場を立ち去ったんだ。」

そういう例は他にもたくさんある。それゆえ,たとえ動物の感情が人間と正確に同じでなくても,あるいは,詳しくいうと,生物種を超えて同一感情を持つことがなくとも,だからといって動物が感情をもたないということにはならない。動物の感情は「本能的反応」に限られるものではなく,大いに意識的思考と呼びうるものに近いものも含んでいる。

動物と共通の言語がないため,おそらく感情が異種間コミュニケーションの最も効果的な方法であるだろう。われわれは感情をともにし,感情という言語を理解することができ,だからこそ,他の多くの生物とも深く永続的な社会的絆を形成することができているのだ。

感情はわれわれを結びつける接着剤である。それは動物と人間の社会的相互作用を触媒し,調節してくれる。