GENIUS 2 Lesson 2 Learning Language, Learning Self

Lesson 2 Learning Language, Learning Self

Part 1 本文和訳

わたしは小さいときからずっと,生まれ故郷のニューヨークを離れて旅をしてみたくてなりませんでした。19 歳のとき,ついにその海外旅行のチャンスがやって来たのです。ロンドンの大学生として,他の外国人学生といっしょに国際ホステルで生活しました。インドネシア,インド,マレーシア,タイ,中国,イラン,チュニジア,エチオピアなど,おたがいの文化を代表する料理を順番に作ったり,食べたりもしました。食事を4カ月も共にすると,いろいろとエキゾチックな料理を口にしたため,ますます辛い,香辛料のきいた料理が好きになってきました。さらに,みんなが話してくれる遠い外国の話を聞いているうちに,旅行がしたくてたまらなくもなりました。数カ月後,香港の友人たちと中国の正月を送らないかという招待を受けたのです。それが長い旅行の始まりとなりました。香港までは飛行機で何時間もかかりましたが,それだけの時間をかけた価値はありました。見たこともない場所を見てまわるのが楽しくてならず,ついわたしは東南アジアを 13 カ月も旅してまわったのです。

いろんな国を旅行しているうちに,わたしは意思の疎通を主として身振り手振りで行うようになりました。相手の心の内が読め,テレパシーを送れるように思いましたので,相手の顔の表情を見逃さず,目を見て話すようにしたのです。実際にしゃべっている言葉を理解できたらと思うこともたくさんありましたが,しかし実際の言葉がわからないがためにはっきりと有利な立場に立てると感じることもありました。曖昧なままというのは,自由な感覚を楽しめるものです。わたしを縛ってくるように思われる期待や行動にそれほど従わなくても良かったからです。自分に文化的に求められてくる役割からもっと自由に出たり入ったりができたのです。

Part 2 本文和訳

旅行者であるということはとても大きな自由の感覚を与えてくれましたが,かなりの長期にわたって外国に住むということはそれとはまったく違う経験でした。わたしの最初のそういう経験は,日本の高校で英語を教えるために日本にやって来たときのことです。来る前まで,わたしは日本語をひと言もしゃべることができませんでした。(そうですね,あえていえば「スシ」くらいのものでしょうか。)日本の人はみんな英語がしゃべれると思い込んでいました。たとえしゃべれなくても,わたしが日本語を覚えたりする必要のないようにわたしから英語を教え込んでやろうという腹づもりでした。あの寒い,雨にそぼ濡れた7月のある日,日本に着いてすぐ,この国の人は誰も英語をしゃべれないのだから,わたしのほうが日本語を勉強するほうが早道だわと,思い直しました。でも論理的には確かにそうだったのですけど,しかしわたしは日本語を憶える努力はほとんどと言っていいほどしませんでした。日本文化に溶け込みたいという気持ちがあると同時に,日本文化の外にいたほうが気が楽だという気持ちもあったからです。それに日本語を憶えるなど,わたしにはとうてい無理だと思い込んでもいました。

驚いたことに,わたしは極端に限られた日本語しかわからないのに,それでも英語をしゃべれない日本人に友人ができたのです。茶道や生け花もある程度習いました。これら習い事の教室は,すべて日本語で執り行われます。それからテレビもよく観ました。日本語をひと言も理解できないまま,わたしはテレビドラマ,サムライの時代劇,相撲の試合,アニメ,さらにはコマーシャルなどの虜となっていったのです。

Part 3 本文和訳

日本の学校では週6日間の連続勤務でした。7日目の週末には日本人の同僚や友人たちによく外出に誘われました。彼らの話す言葉はまだ完全には理解できませんでしたが,この頃には,ボディランゲージ,声の高さ,口調,声の大きさ,沈黙などをどう読み解くか,だんだんと自信がついてきました。雰囲気が和やかだとか,不必要に丁寧で,よそよそしく,卑屈な人がいるようだなど,場の“空気”も読めるようになったと思います。少なくとも何が話し合われているのか少しはわかるようになるのは,大いに自信がつくものでした。

日本にはじめてやって来て3カ月ほど経ったある日,わたしは日本語を自分のものとしつつあることに突然気づく経験をしました。その日,わたしは通勤の路面電車に乗っていました。ある駅で1人の年輩の女性が乗ってきて,他に乗客のいない車内でわたしのすぐ隣に腰を下ろしました。その女性に日本語だけで話しかけられたわたしは,「ゼンゼンワカリマセン」と女性の話を遮ったのですが,しかし女性はそれで話の腰を折られた風にはまったく見えません。女性の話している間,わたしは笑みを浮かべてうなずいていることしかできず,電車が女性の目的駅に着いたときには,ホッとしたものでした。しかし独りになったとき,わたしは女性の言ったことを自分が幾分か理解したこと,しかも女性の話はひと言の例外もなく日本語でなされたものであることに気づきました。突然そのことに気づいて,わたしは言いがたい喜びに包まれたのです。その瞬間と き から,わたしは日本語と日本文化の奔流に抗うのをやめました。

Part 4 本文和訳

わたしの言語習得の第一段階は,耳で聞いた言葉をそのまま自分で使ってみることでした。これにはいくつか問題が生じてきました。というのは,2人の話者がおたがいに対し同一レベルの丁寧さと敬語で話すというのは,必ずしも適切なことではないからです。またわたしは友人や同僚から“男性言葉”や方言的な表現を覚えましたが,これらの言葉は状況によって使っていい場合とよくない場合とがあります。

皮肉なことに,丁寧さと敬語のレベルは,年齢,階層,社会的立場や性別などによって左右されていることに気づくと,わたしは間違いを犯すことを気にして,怖がるようになりました。みんなからからかわれ,頭の悪い下品なアメリカ人だと噂されるのが嫌だったのです。わたしは周囲に溶け込みたかったので,もっと柔らかくて,もっと丁寧で上品な話し方をする,わたし自身の新しい日本向けの人格を創り上げようと決意しました。

言葉を憶えるというのは単語や文法を覚える以上のことであるということにわたしが気づいたのはそのときです。わたしは日本社会における自分の役割に従って行動せねばなりませんでしたが,しかしわたしの過去の体験や思考方法を,いまわたしのいる新しい状況から切り離してしまうことは不可能に思えました。例えば,仕事を終えた人たちがすぐに帰宅しないのはどうしてなのか,なかなか理解できませんでした。しかしながら,新しい状況に溶け込むためには,わたしは自分の行動に若干の変更を加えねばなりませんでした。
新しい言語を学ぶことによって精神の視野を広げることができると言われています。確かにその通りですが,それだけではありません。言語を学ぶことによって,わたしたちはまた,深く自分自身を掘り下げることができるのです。