GENIUS 1 Lesson 7 Mother of Women’s Judo

Lesson 7

Mother of Women’s Judo

女子柔道の母

Part1 本文和訳

第2次世界大戦後、日本駐留のアメリカ占領軍は柔道を禁止しました。占領軍は人々にどのような格闘技も練習しないでいてほしかったのです。しかし、1950年代の初めまでには、柔道は復活し、1956年に最初の世界選手権大会が東京で開かれました。柔道は1964年にオリンピック種目になり、同大会でメダルを獲得した国の数は、いかに柔道が世界中に広まっていたのかを示しています。メディアへの露出が、柔道が日本の格闘技から、数多くの熱心なファンを持つ競技に変わることに役立ちました。
1992年、国際オリンピック委員会(IOC)は、女子柔道をオリンピック種目として認めました。長年の間、人々がIOCに女子のための競技を含めるように説得する努力をしてきた結果でした。特に、レナ (ラスティ カノコギ)という一人の女性は、IOCを動かすのに主要な役割を果たしました。1959年にレナさんに偶然起こったことのせいで、女子柔道のために闘うことは、レナさんにとってきわめて大切になりました。

Part2 本文和訳

ラスティ・グリックマンさんはニューヨークのブルックリンで育ちました。小さい頃は、強情な子だと評判でした。ラスティさんが柔道を学び始めると、とても上手くなり、コーチがニューヨーク州YMCA柔道大会に出てはどうかと言うほどでした。

男子しか競技できないと明確に規定する規則はありませんでしたが、女性はそれまで1人も参加したことはありませんでした。ですから、誰もがラスティさんは男の子だと決めてかかっていました。ラスティさんはけがをしたチームメイトの代わりに出場し、チームが優勝するのに貢献しました。ラスティさんは金メダルを受け取るためにみんなと一緒に誇らしげに立っていました。しかし、表彰式の後でラスティさんの名前が呼ばれました。大会責任者がラスティさんを事務所に連れて行き、メダルをあきらめさせました。どうやら、大会の主催者たちは、女性が競技会に参加するのを好ましく思っていなかったようです。

「メダルを持たないで戻ったとき、チームメイトはみんな、金メダルを返上したいと思いましたが、私はどうしてもそうさせませんでした。」と彼女は言いました。ラスティさんは新たな使命を持って、大会を去りました。ラスティさんは次のように言いました。「ひどい気持ちでした――女性であることで何か悪いことでもしたような、ひどい気分でした。もう2度と他の女の子や女性にそんなことは起こってほしくないと思いました。」

Part3 本文和訳

ラスティさんは、YMCAの大会から締め出されただけではなく、アマチュアの大会にも参加できなくなりました。週に5ドルでYMCAで柔道を教えていることが、ラスティさんが柔道でお金を稼いでいることになり、そのため彼女は「プロ選手」と見なされたのです。

1962年、ラスティさんは、柔道の総本部の講道館で柔道を学ぶために日本に引っ越しました。講道館で練習をした最初の外国人女性になりました。ラスティさんは、最高の柔道家に必要とされる知識と技術を身につけ帰国しました。

しかしそれでも依然として、ラスティさんを受け入れる準備が出来ている場所を見つけられませんでした。女性のための国内大会がひとつもなく、しかも、オリンピックでフルコンタクトの女子スポーツは不可能なように思えました。

ラスティさんが日本にいる間に、彼女は鹿子木量平という名前の仲間の柔道家に出会いました。ラスティさんがニューヨークに戻った後、量平さんはラスティさんのもとを訪れ、交際期間を経て、結婚へとつながりました。2人はブルックリンに「九州道場コミュニティサービスセンター」を開きました。

ラスティさんは自分の使命を続けました。女性が競技会への参加資格を手に入れるのに役立つために、手紙を書き続けました。お金を集めて、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開かれた、女子の第1回世界柔道選手権大会を組織しました。大会は成功し、1980年代の初めまでには、女子柔道がオリンピックの考慮に持ち出されました。

Part4 本文和訳

黒帯七段の保持者の「柔道の母」は、国際女性スポーツの殿堂入りをしています。ラスティさんは、米国女子柔道のオリンピックチームのコーチでした。2007年に、ラスティさんは審判として能力を伸ばしたことと、柔道がオリンピック種目になることに献身的に貢献したことに対して権威ある賞を受賞しました。翌年、日本政府は、ラスティさんが柔道を推し進めた業績に対して勲章を授与しました。

ラスティさんは、ご自分の演説の一つで、1959年の事件について話をしました。聴衆の1人が怒って、全米YMCAに手紙を書きました。YMCAは間違いを訂正することに同意し、2009年8月21日にラスティさんはメダルを授与されました。このメダルは、ラスティさんの「スポーツ界で女性が平等を勝ち取るよう、みんなを元気づけた統率力と献身」に対する特別なメダルでした。その新しいメダルは、ラスティさんの過去50年にわたる懸命の働きと努力が無駄ではなかったということの証明でした。部屋にいた誰もがみんな、74歳のラスティさんが「このメダルはずっと素晴らしいものです」と言っているのを聞くことができました。