GENIUS 1 Lesson 10 Life in a Jar

Lesson 10

Life in a Jar

ビンの中の命

Part1 本文和訳

1999年の秋、4人の若いアメリカの女の子たちが、多くの人の生き方を変えるような自主研究を始めました。4人の先生のノーマン・コナード先生は、全米歴史コンテスト(NHD)に参加して、ホロコーストについてもっとたくさん学ぶように勧めました。

メーガン・スチュワート、エリザベス・カンバーズ、ジェシカ・シェルトン、サブリーナ・クーンズの4人の高校生は、参加することに賛成し、調べ始めました。4人は「イレーナ・センドラーは、1942~43年にワルシャワのゲットーから2,500人の子供たちを救った」と書いてある記事をたまたま見かけました。イレーナ・センドラーのことも、この話もまったく聞いたことがなかったので、いろいろな情報源を調べ始めました。

4人はその記事が本当だと突きとめました。ポーランド人のカトリック教徒のソーシャルワーカーをしていたイレーナ・センドラーは、ポーランドの地下組織に入っていました。ジェゴタという組織にも入っていました。ジェゴタは、ポーランド人とユダヤ人が協力してナチスと戦うために行動を共にする組織でした。イレーナのお父さんは病気のユダヤの人たちを治療するお医者さんでした。お父さんはイレーナに、いつも困っている人を助けようとすべきだと教えました。後になって、イレーナは、不公正な扱いについては黙って見過ごすことがほとんどありませんでした。ワルシャワ大学では、ユダヤ人学生を教室の左側に座らせるという特別な着席制度に反対しました。結果として、イレーナは3年間大学に通うことを許されませんでした。

Part2 本文和訳

ポーランドに侵攻した1939年には早くも、イレーナはワルシャワに住んでいるユダヤの人たちを脱出させるのを手伝い始めました。深刻な病気が発生したときには、ワルシャワのゲットーに入って、生活状態を調べました。訪問中に、子供たちや孫たちが脱出する必要があることを、ユダヤ人のお父さん、お母さんやおじいさん、おばあさんに納得させました。イレーナとジェゴタのメンバーは、コッソリと警備兵たちに見つからないように隠れて子供たちを連れ出しました。うその身分証明書で育ててくれるポーランド人家族の元に引き取られた子供もいましたし、カトリック女子修道院や孤児院の手に委ねられた子供もいました。イレーナは、子供たちの元の身元と新しい身元の名簿を作り、その名簿を隠してあるビンをリンゴの木の下に埋めました。いつかビンを掘り出して、子供たちを見つけ出し、昔のことについて話してあげられるようにと願ってのことでした。

1942年から1943年まで、イレーナとジェゴタは、イレーナが捕まる前に、ワルシャワのゲットーから何百人もの子供たちを連れ出すことができました。イレーナは拷問を受けましたが、名簿がどこにあるのか決して言いませんでした。イレーナは殺されることになっていましたが、ジェゴタが1人の警備兵にお金を渡し、イレーナを脱出させました。

イレーナは戦争が終わるまで隠れて暮らし、活動を続けました。もしイレーナが死をまぬがれていなかったとしたら、何百人もの子供たちは命を落としていたことでしょう。ポーランドに平和が戻った後、イレーナはビンを掘り出し、子供たちを家族の元に返そうとしました。悲しいことに、ほとんどの大人は死の収容所から戻って来ることはありませんでした。

Part3 本文和訳

4人の女の子たちは芝居として上演することが、調べた結果を一番上手く伝える方法だと判断しました。みんなでイレーナの人道主義的な活動を描いた台本を書き上げました。他の生徒たちも参加してくれて、自主研究のメンバーは地域のいろいろなクラブやグループで『瓶の中のいのち』を上演しました。

後に、生徒たちは、イレーナの眠っている場所を調べ始めました。みんなほとんど信じられませんでした。――イレーナは生きていて、ワルシャワで暮らしているとわかったときには。地元のポーランドの生徒たちの協力を得て、メンバーはイレーナに手紙を書きました。自分たちの自主研究のことと、公演が受けた反響について書き記しました。「皆さんの作品は、私が50年以上も前に始めた努力を続けてくださっています。皆さん方は私の愛しい子供です。」とイレーナは返事を書きました。

イレーナが生きていて、貧しく暮らしていることを知った後、生徒たちはビンを公演に持って行き、イレーナと他の助けてくれた人たちのためにお金を集めることにしました。メーガン、エリザベス、ジェシカ、サブリーナはワルシャワを訪れて、イレーナ、生き残った子供たち、救出劇にかかわった他の人たちに会って話を聞くことを夢見ていました。

女の子たちのグループが、こんなにも幸運だった試しはめったにありません。2001年1月のある日、1人のユダヤ人の方が公演を見て、次の日に昼食を一緒にとるようにお願いしました。その人は、みんながワルシャワに行けるようにお金を調達するつもりだと言ってくれたのです。イレーナは91歳で、健康状態が悪いから、出来るだけ早く行く必要があると言いました。

Part4 本文和訳

2001年5月22日、コナード先生と4人の女の子たちはイレーナと何人かのジェゴタのメンバーに会いました。この訪問は、ポーランドにとっては特に重要なものでした。ポーランド人がユダヤ人の隣人を殺したという自分たちの暗い歴史と折り合いをつけようとしていたからです。イレーナについての好意的な世間の注目は、ユダヤ人たちを救った自分たちと同じような人のうわさを聞く必要があったポーランド人にとって、ちょうどいいときに起こったのです。
イレーナが救った子供たちの中には、その面会に一緒にいた人もいました。そのうちの1人の女性は、自分の名前と生年月日が刻んである銀のスプーンをみんなに見せてくれました。ジェゴタの人が連れ出す寸前に、お母さんが枕元に置いてくれた銀のスプーンが、その女性が持っている唯一のご両親との絆です。

最後に、4人の生徒は、イレーナが拷問を受けた監禁場所とビンを埋めた場所に行くことができました。イレーナは、お父さんが話してくれていたことをみんなに言いました。「もし溺れかかっている人を見たら、泳げようと泳げまいと水に飛び込んで助けてあげなければいけない」

『瓶の中のいのち』のメンバーたちは、イレーナのもとを6回訪問しました。2008年の訪問の際に、イレーナは「皆さんはポーランドも、合衆国も、世界も変えたのです。とってもとっても大好きですよ。」と話しました。9日後、イレーナはこの世を去りました。

自主研究を最初に始めた4人の女の子たちは、学業を続けて大学を卒業しました。4人と他の『瓶の中のいのち』のメンバーは、イレーナ・センドラーの話を語り続けます。