ELEMENT 2 Lesson 9 Documentary Photography

Lesson 9 Documentary Photography 記録写真

  沢田教一氏は報道写真家だった。1960 年代に,彼は仕事でベトナムに行った。そこにいる間に,彼はベトナム戦争の事実を記録する写真を多く撮り,1965 年に撮られた1枚の写真によって,ピューリッツァー賞写真部門を受賞した。その写真は,アメリカの爆撃を避けるために川を渡っている家族を写している。悲しいことに,沢田氏はその後長くは生きられなかった。彼は 5 年後,34 歳で,銃で撃たれて亡くなった。戦場で報道写真家であるという危険にさらされながら,彼はなぜその仕事を選んだのだろうか。

  記録写真は,1世紀半以上の間,世界で変化を生み出すのに役立ってきた。現在,おそらく過去においてよりさらに,写真は私たちが住む世界についての真実を教えてくれる。新聞や雑誌といった従来のマスメディアから,インターネットといったより新しい形態に至るまで,画像は世界中の人々の心を瞬時に動かす。実際に,documentary」
という単語は,ラテン語の「docere」に由来していて,それは「教える」という意味である。

  写真の印刷技術の開発から数年後,写真は一般的に用いられるようになった。写真家に与えられた最初の任務の中には,好印象な宣伝をつくるということがあった。ロジャー・フェントンは,1855 年に,戦争の写真を撮るためにイギリス政府に雇われた。(当時)イギリスの記者たちは,劣悪な医療や寒波で死んでいくイギリスの兵士たちの恐ろしい話を(戦場から)送り返し始めていた。そういった話に対抗するために,政府はフェントンに,戦争を好意的な見かたで伝える,前向きな画像を提供するように求めた。よって,フェントンの写真は,誇り高く,強く,幸福そうに見える兵士たちを表現していた。

  1862 年になるまで,ほとんどの人々は,戦争の真の画像を見たことがなかった。その年に,ニューヨークの写真家マシュー・ブレイディは,南北戦争で死亡した兵士の写真で,アメリカ人を驚かせた。ブレイディと彼のチームの画像は,人々がいつも見てきた兵士の写真よりも,ずっと力強かったのである。約 80 年後,第二次世界大戦中に,ある雑誌が,パプアニューギニアの浜辺で死んでいる 3 人の兵士たちの,とても生々しい写真を掲載すると,アメリカ人は衝撃を受けた。その雑誌には,当然ながら次のような質問が浴びせられた。「なぜあなたがたは,浜辺で死んでいる 3 人のアメリカ人青年のこのような写真を掲載したのか。」と。その理由には次のようなものが挙げられた。「ことばは決して十分ではない。ことばは,戦場がどうなっているのか,つまり実際に何が起こるのかを,見たり,理解したり,感じさせるために存在しているのではない。」

  記録写真家が求めたものの中には,指導者が物事を変革するよう仕向けることがあった。一例がジェイコブ・リースで,彼はニューヨーク市で無職のまま最初の 3 年間を過ごした移民であった。そのときに,彼は市の職員に手紙を書いたり,記事を寄稿し,街に住む貧しい人々の過酷な生活状況を訴えた。市の職員が彼を無視すると,リースは,人口の密集した生活環境や,病気,犯罪の写真を撮った。未来のアメリカ大統領であるセオドア・ルーズベルト,当時のニューヨーク市警の署長がリースの写真を見て,市の政策の変更を要求し始めた。(すると)政治家たちが,よりよい住居や医療を提供することや,犯罪と闘うことには価値があると認め始めたのである。

それからまもなくして,アメリカの別の写真家,ルイス・ハインが,貧しい人々を助けるためにニューヨーク市へ移ってきた。彼は,工場や鉱山で働く子どもたちの写真を撮った。彼はまた,農場や漁船で働いている子どもたちの姿も撮った。これらの写真は,子どもたちの労働環境がいかにひどいものかを世間に示した。これによって,政府が児童労働を禁止する法案を通過させることになった。すべての子どもたちに対する公教育を改善するための追加法案も通過した。ハインの写真は社会的変化をもたらし,児童労働を終わらせるのに役立ったのである。

  写真は心を動かし,人々を行動に駆り立てることができる。写真は,時間の中のほんの一瞬をとらえることによって,生活を記録する。写真が提供するものは,証拠と真実である。写真は見る人に,新たな人々や出来事,場所を示す。写真は社会や人間性,もしくは生活全般について,嘘いつわりのないものを見せる。写真は大きな悲劇や偉大な勝利をとらえる。歴史を研究する人々にとって,写真は過去の時代の記録として役立つ。

  沢田氏がピューリッツァー賞を受賞したとき,彼は 1965 年の写真の中の家族を思い出し,彼らを探し始めた。約 10 か月後,彼はなんとか彼らの居場所をつきとめ,賞金の一部とともに,その有名な写真を彼らに寄贈した。沢田氏は,写真の裏側に,「お幸せに。沢田,1966 年 6 月 29 日」と書いた。彼が 1970 年に突然亡くなる前,沢田氏は彼の妻に,戦争が終わったら,ベトナムを北から南に旅をして,(これまでとは)違う平和なベトナムを記録するための写真を撮りたいんだと言っていた。20 年近く後,沢田氏の妻は彼の遺志を継いで,ベトナムの,彼が訪れ写真を撮った場所の多くを訪ねた。町を見渡しながら,彼女は「教一は戦争中のベトナムを見ていたけれど,(生きていたら)この平和な町をどんなふうに見たかしらね。」と思った。

  写真はほんの一瞬を写し出すが,それはすぐに過去の出来事の 1 つとなる。しかし,報道写真家たちは,カメラのファインダーごしに,おそらく被写体の生き方と,もしかすると彼らの未来をも見ているのだ。