CROWN 2 Optional Lesson MJ

Optional Lesson
MJ

(pp.172-181)

MJ

 彼の前に、エルビス・プレスリー、そしてビートルズがいて、そして彼の後に、間違いなくほかの有名なポピュラー音楽のミュージシャンが出てくるだろう。しかし、1970年代の初めから21世紀の最初の10年間にかけて、マイケル・ジャクソンはだれもが認める“キング・オブ・ポップ(ポップ界の王)”だったのだ。

Section 1 本文和訳

 マイケル・ジャクソンは、1958年8月29日に生まれた。11歳のときに、兄弟といっしょにジャクソン5と呼ばれるグループでデビューした。マイケルのソロ活動は1970年代の初めに始まり、そして1982年に史上最高のベストセラーアルバム、『スリラー』を録音した。マイケルのほかのアルバム、『オフ・ザ・ウォール』、『バッド』、『デンジャラス』そして『ヒストリー』もまた、世界のベストセラーアルバムとなった。

 マイケルは13のグラミー賞を受賞し、13曲のランキング第1位のソロシングルを発表した。彼はまた、ムーンウォークやロボットダンスといったストリートダンスに脚光を浴びせた。マイケルの独特の音楽と表現のスタイルは、ほかの多くのパフォーマーに影響を与えてきた。

 2009年に、マイケル・ジャクソンは、「This Is It」─ロンドンでおこなわれる50回の連続公演のコンサートを発表した。

 「このコンサートが私の最後のショーになります。これですべてです。そして私がこれですべてというときには、本気でこれですべてというつもりで言っているのです。ほんとうにこれですべてなのです。これが最後のカーテンコールなのです。おわかりでしょうか。7月に会いましょう」

 5,000を超えるダンサーが「This Is It」の出演枠に応募した。その数は約600に絞りこまれた。オーディションの後、11名のダンサーが選ばれた。「This Is It」のリハーサルが始まった。

Section 2 本文和訳

 2009年の2月、オーストラリア出身の若いギタリスト、オリアンティは、マイケル・ジャクソンの音楽監督から「This Is It」のリード・ギタリストのオーディションを受けるように勧めるEメールを受け取った。

 「私はとても驚きました。本当だとは思えませんでした」

 気づいたら、彼女は「ビート・イット」でソロをとっていた。

 「MJはステージで私を行ったり来たりするように歩かせて、そして私に聞いたのです。『こんなペースで歩きながら、ぼくのためにあのソロが弾ける?』 そして私は言ったのです。『もちろん』と。素晴らしい瞬間でした」

 マイケル・ジャクソンは、オリアンティに「ブラック・オア・ホワイト」のソロもまかせた。「一番高い音を出してほしい」

 「そしてマイケルはこのほんとうに高い音で歌い、私はギターでその高い音に近づこうとしたのです」
 若手の歌手、ジュディス・ヒルもオーディションを受けた。マイケル・ジャクソンと「アイ・ジャスト・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」を歌っているとき、彼女はマイケルがするすべての動きに集中した。
 「私たちはきちんと準備をしていました。というのも、マイケルは私たちにしてほしいことをするようにいつでも合図する可能性があったからです」

 ジュディス・ヒルにとって、マイケル・ジャクソンとパフォーマンスすることは夢の実現だった。

 「小学校3年生のころ、私が初めて歌った歌は『マン・イン・ザ・ミラー』だったのです。ですから、マイケルといっしょにステージでその曲を歌うことは、いわば素敵なことでした。彼といっしょにステージの上にいることはほんとうに素晴らしい経験でした」

Section 3 本文和訳

 「アース・ソング」は、「This Is It」の中心になるはずの曲のひとつだった。マイケル・ジャクソンは観客を楽しませるだけでなく、メッセージを伝えたかったのだ。

 「私は、人間のこの惑星に対する過ちについて、自然が一生懸命埋め合わせをしようとしているのだ、と痛切に感じます。この惑星は、病気にかかっています。熱病のような病気にかかっているのです。今、治療しなければ、引き返すことができなくなります。今がこの問題を解決する最後の機会です…暴走する列車のようなものです。その時はきたのです。まさに時は今なのです」

 リハーサルはおおむね終了した。全員、数日後にロンドンに向けて出発する準備はできていた。ミュージシャン、歌手そしてダンサー全員が集まった。コンサートのプロデューサーからのことばのあと、マイケル・ジャクソンが短いスピーチをした。彼は聴衆に伝えたいメッセージについて話した。お互いに愛すること、そして環境を保護すること。彼はまた出演者たちへの感謝の気持ちを表した。

 「今までの皆さんの協力に感謝します。ありがとうございます。本当にありがとう」
 2009年6月25日、世界は衝撃的なニュースを聞いた。マイケル・ジャクソンがこの世を去ったのだ。

Section 4 本文和訳

 マイケル・ジャクソンの私生活については物議を醸す側面もあったのだが、彼をよく知る多くの人は、愛情を込めて彼のことを語った。

 「ジャクソン5は、その新鮮さと可愛らしいアフロヘアで、私たちを微笑ませてくれた。私たちは足を鳴らし、そして私たちは思いわずらっていたことを忘れた」 ─コリン・パウエル 元合衆国国務長官

 「『ビリー・ジーン』の最初のビートと帽子を投げ上げるあの動きから、私は魅了されました。しかし彼がムーンウォークをしたとき、それは魔法のようでした。彼はこの星をまわる軌道に乗ったのです」 ─ベリー・ゴーディー・ジュニア モータウン・レコード創設者

 「彼のステップはすべて正確で流れるように滑らかでした。動いている水銀を見ているようでした」 ─マーティン・スコセッシ 映画監督

 最後に、『スリラー』のプロデューサー、クインシー・ジョーンズはこう語った。

 「マイケルは猫のような優美さでステージを思いのままにし、音楽業界の記録を破って文化的な境界を打ち破りましたが、にもかかわらず、これ以上ないほど優しい人のままでした。彼がこの世を去るなんていうことがあるのでしょうか。彼は私の魂の一部でした」

 マイケル・ジャクソンは、40年以上の間、アメリカのポピュラー音楽と同義だったのだ。彼は彼の音楽のために生き、そしてある意味において彼は彼の音楽そのものだった。彼は自身の本、『ダンシング・ザ・ドリーム』でこんなふうに書いている。

 「私はただ単にその中に歩いて入るのです。川に足を踏み入れて、流れと一体化するような感じです。その川のすべての瞬間に、その瞬間の歌(曲)があるのです。ですから、私はその瞬間の中にとどまり、耳を傾けるのです。流れと一体になると、内側にも外側にも音楽があり、そしてそのふたつは同一のものなのです。その瞬間に耳を傾けることができるかぎり、私には常に音楽があるのです」