CROWN 2 Lesson 4 Crossing the Border -Medecins sans Frontieres-

Lesson 4
Crossing the Border―Médecins sans Frontières―

(pp.50-57)

国境なき医師団

貫戸朋子医師は1993年に国境なき医師団に参加した。彼女はこの国際的ボランティア団体とともに現地で仕事をした最初の日本人だった。彼女がその体験について、話をする。

Section 1 本文和訳

日本で医師として8年間ほど働いたあとで、私はもっと勉強をするためにスイスに行きました。私が国境なき医師団(MSF)─英語では“Doctors Without Borders”ですが─に参加したのはそこででした。MSFは1971年にフランスで設立されたNGOです。MSFは、人種や宗教や政治的な意見がなんであろうとも、戦争や災害で病気になったりけがをしたりしている世界中の人たちを救済しています。

私は医師として、どうしたら人々の役に立つことができるのかということについて考えていました。私は、さまざまな文化や場所を見たいと思っていました。それ以前にも、私はMSFについて(本などで)読んだことがありましたし、またMSFに寄付をしたことがある友人たちもいました。そこで私はこの組織に参加したいという手紙を、パリにあるMSFの支部に出したのです。支部からは受け入れるとの返事がきて、私は、スリランカのマドゥー難民キャンプに派遣されました。そこでは内戦が続いていました。

Section 2 本文和訳

マドゥーには28,000人の難民がいましたが、小さな病院がひとつしかありませんでした。そこにはたったふたりの看護師とふたりのタミル人の医師、数人の通訳と保健指導員しかいませんでした。私たちにはもっとも簡単な医療機器しかありませんでした。古い機器でそんなに多くの人々を治療しなければならないことで、悲しい思いをすることもありました。

私たちは、午前9時に治療を始めて、毎日150人ほどの患者を診察しました。彼らはタミル語を話しました。いくつかの簡単な質問をして、どんな治療をしたらよいのかを決めました。午後には8つのベッドで患者の治療をしました。患者はたいてい妊産婦と赤ちゃんでした。ときにはマドゥーから8キロ離れた小さな難民キャンプに行きました。私たちは朝から晩まで働きました。

マラリアと喘息(ぜんそく)と肺炎、これらの病気がいちばん多いものでした。食料と飲料水が不足しているのも深刻な問題でした。10月に雨期に入ると下痢が増え、子どもたちを何人か失いました。私たちのところに来る人はみんな、たとえ武器を持っている兵士でも、私たちは診察しました。ただし彼らが武器をしまってからですけれど。

私たちは安全だと言われていました。しかし外出禁止の夜もありました。私たちはラジオを聞いて、外へ出ても大丈夫かどうか、情報を得ていました。

Section 3 本文和訳

マドゥーでの仕事で一番困難なことは判断を下すということでした。私たちはこの地域の状況について考えなければなりませんでした。というのは西洋的な、あるいは日本的な判断で状況を見ると、決定を誤ることがあり得るからです。私たちの医療機器だけでなく医薬品も非常に制限されていたので、ことあるごとにそれぞれの状況を検討し、最善の方法を選ばなければなりませんでした。

私は、ひとりの女性が5歳の息子を私たちの病院に連れてきた日のことをはっきりと覚えています。私はすぐにその子どもがもう助かる見込みがないとわかりました。酸素吸入をしましたが顔面蒼白で、呼吸も絶え絶えで、しかも酸素マスクを嫌がりました。少年が快方に向かう兆しはありませんでした。私たちは、最後の酸素タンクを使っていました。次のタンクがいつ補充されるのかはわかりませんでした。もし酸素を必要としている別の患者が来たら、もしかするとこの酸素タンクがその人の命を救うことができるかもしれません。私は決意して、いっしょに仕事をしている看護師に(少年の)酸素を止めるように合図をしました。その看護師はとてもそんなことはできませんでした。私は5秒待ち、そして自分で酸素を止めました。その子どもの命を神の手にゆだねることが最良の方法だと考えたから、私はそうしたのです。それは正しい決断だったのでしょうか。私にはいまでもわかりません。

Section 4 本文和訳

マドゥーでの6か月はあっという間に過ぎてしまいました。それは私の人生と仕事に真の意義を与えてくれたので、私にとって、とても重要でした。

MSFのような非政府組織の仕事は世界の多くの問題を解決するのに役立っていますが、やらなくてはならないことがもっとたくさんあります。もっと多くの日本人が自ら進んでこのような仕事をし、より広く世界を見に行って、援助の必要な人々に対して深い同情心を持ち始めてくれることが私の願いです。そのようなボランティアの人たちは、与えるのと同じくらい多くのことを得るということがわかるでしょう。私自身の場合には、この経験によって、人生の目的を見つけただけでなく、人間として生きるということがどういうことなのかについて考える機会を得ることができました。私はまたMSFに参加するつもりです。そしてMSFがもう必要がないというそのときまで彼らとともに働き続けるつもりです。世界中にはまだ数え切れないほどの病気の人や傷ついた人々がいるのです。

境界線を越えるには勇気が必要です。あなたの家族や友人は反対するかもしれません。しかしそれが正しいことだと思うのなら、自分の気持ちに従ってください。数からいえば自分が少数派だと気づくこともあるかもしれませんが、自分に自信を持って、そして信念を実行に移す勇気を持ってください。